Welcome to Erectric Wire Box電線裏話!

電線の歴史


電気の原語

1600年、エリザベス王朝お侍医で、物理学者として著名なウィリアム・議留バーとが、琥珀のことをギリシャ語でエレクトロンと呼ばれるところから、琥珀に生じた軽い物体を吸引する力を“Electrica”と命名しました。これが、電気の原語となっています。議留バーとはまた磁気と電気に関する多くの基本的考え方を、“De Magnet”という著書の中で科学的に記述し、現代の電気産業発展の口火を切る功績を残しました。

最初の電気伝送

ギルバートが電気という言葉を用いてから100年後、オット・ゲーリックが感応発電器をつくりました。1744年、ライブチヒのJ.H. ウィンクラーがこれを改良して放電火花を遠距離に送ることに成功しました。彼はこの実験と通じて、その速度が弾丸よりも早いといい、絶縁された導体を用いると世界の果てまでも送ることができるであろうと述べています。この研究は電線・ケーブル発達史の出発点として高く評価されています。

電流の発見

イタリアのコム市中学校の物理学教師アレキサンドル・ボルタは1800年ボルタ電堆(電池)を発明しています。彼は銅と亜鉛の板を、湿った布を挟んで積み重ねるとその両端から電気を発生し、これを電線で繋ぐと、その中に電気の流れが生ずることを発見しました。これは電気学上、非常に大切な発見であり、電気の利用はここから出発したといえます。これから電流に関するいろいろな実験が行われ、電流はやがて電信に応用されることになりました。

電信機の発明とわが国への渡来

米人モールスが通信機を発明したのは、1936年のことですが、この電信機が米国水師提督ペルリによって、1854年(安政元年)将軍家に献上されています。ペルリの電信機に関する目録の中には、電信機2座、電信線4把、カタパーチャー線一箱、碍子などが記載されています。この年にはオランダからも電信機が献上されています。こうした中でわが国においても電信機に関する関心が高まったのですが、わが国最初の電信機は1849年(嘉永2年)、佐久間像山によってつくられ、この時使用した絹巻線も彼自身が作ったものといわれ、その一片が今でも逓信博物館に保存されています。

電気事業の最初

1887年(明治20年)11月、東京電燈の第2電燈局(火力発電所)が麹町に竣工し、エジソン式直流発電機により直流3線式210ボルトで電燈供給が開始されましたが、これが架空電線による一般供給の最初であり、わが国電気事業の最初でもあります。ロンドンおよびニューヨークで電気供給事業が開始されたのが1882年(明治15年)ですので、わが国はこれに遅れること5年ということです。

わが国電線工業の成長時代

明治年間およびそれ以前をわが国電線工業の創業時代としますと、大正にはいってからの約10年間電線工業の成長時代とも考えられます。電気事業は電燈時代から電力時代に移行し、数多く電力会社が創設だれました。また、火力時代は水力時代となり、大電力の水力発電所を遠隔の地に求めた結果、長距離の大送電線の建設が必要とされ、送電電圧も急激に高められてきました。1914年(大正3年)には11万5千ボルトが完成しています。都市および周辺地域における送電網はますます発達してその線路の大部分は地下線路であったため、特別高圧用紙ケーブルの需要も急激に増加しました。大正5年には2万ボルト、10年には3万ボルト用のケーブル製造が行われています。通信面では通信事業が商工業の発達により一段と促進されて通信回線の増加、通信距離の延長をもたらし、これに即応して通信用ケーブルは大正3年600対、同10年800対、同11年には1,200対と次第に対数が増加してまいりました。そのほか、第一次世界大戦の勃発の背景にして艦船用の高級ゴム絶縁電線、陸軍用被覆線などが数多く製造されてゴム絶縁技術は著しく向上しました。

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